SABO

ALCOVA

DAY:5-12 JUNE 2022
LOCATION:ALCOVA TEMPIO SPAZIO J3
VIA SIMONE SAINT BON 1 Milano

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近年、気候変動により様々な自然災害が発生している中で、自分たちが生活する生態系の変化を 感じ、人(人工)と自然の関係や共生について思いを馳せることが増えた。そして、パンデミックをきっかけに日常を見る視点が大きく変わる中、その思いはより大きくなった。

そんな中、プロジェクトを通じて「テラゾタイル」を主力にコンクリート製タイルを製作する富山 のセメント工場との出会いがあり、自然災害から私たちの生活を守るコンクリートでできた「砂防」という存在を知った。砂防という存在は自然と人工物の複雑な関係の歴史を物語っているように感じられる。
古来から人は自然の変化に寄り添って生きてきたが、その関係性が変わってきている。

人工的に整備(またはコントロール)された自然と、整備(またはコントロール)し切れない自然が存在し、私たちが住む東京での人(人工)と自然の関係性と、富山でのそれは大きく違うと感じた。

この出会いから自然との関係性をそれぞれの立ち位置から多面的に考える必要があると考え、 セメントという素材を通じ、都市で暮らす者として、今回は3つの視点から自然との関係性を探った。

“Void” – 意識から考える

自然と人工の境目は何だろうか。
人間の意識が作ったものとそうではないものと考える。
都市の街路樹は人工物?
田舎の人の手付かずの草木は自然物? 私たちが暮らす都市は、人間が自然をコントロールするという考えのもと、人間の意識が作り出したもの。 日常目にするのは、所狭しと建てられた建造物、地面の土を覆い被すアスファルト、整備された 街の中に人工的に植えられた植物。

そんな中、舗装された道を歩いているとアスファルトを突き破って芽吹いている草花を見つけ、 人工的な都市の中で人間の意図しない自然の力を感じる発見があった。

この発見を日々の生活の中で使う花瓶を通して表現した。 人の意識からみると植物はビルの隙間に押し込められているように見え、植物の意識からみると植物はアスファルトを突き破って生えてきているようにも見える。

人間の意識が作り出した都市のコンクリートビル群の形の隙間に植物を活けることで、コントロールされた自然とコントロール出来ない自然の対比を意識的に感じ、植物のありのままの形や 姿と対話しながら 共生することを探るきっかけになって欲しい。

形のモチーフ
マクロの目線から見た都市のコンクリートビル群とミクロの目線から見た舗装されたアスファルト

意識をイメージした白と黒のグラーデーション

”Maplanter” – 割合から考える

私たちは、すでに出来上がった風景の中で生活をしているが、どれだけの自然物と人工物に囲まれながら生活をしているのか、そのバランスや割合に着目したことはあるだろうか。

各都道府県や各自治体では航空写真を使用して、 都市や地域における緑の割合を算出し、「緑率」や「緑覆地(各地域で呼び名が若干異なる)」といった緑の状況把握の施策を行なっている。

2008年の東京都の緑被地は約54.5%、2013年では約50.5%という調査結果が出ている。場所を 変えて富山県では、2013年以降若干の変動をしながら2018年では約67%と記録され、各地域に おける過去からの変遷と現在の自然物と人工物のバランスや割合を確認することができる。 そこで私たちは、航空写真から集められた数値データを物質化することで、自然物と人工物のバランスや関係性がより顕著となり、それぞれが持つ特性やストーリー、素材同士のコントラストを感じ取ることが出来るのではないかと考えた。

日常生活の中での自然との関わり方や結びつきを改めて感じとり、これからの自身の行動を考え 問いかけるきっかけとなれば嬉しく思う。

マテリアル
Maplanter TOKYO
セメント、砂防の破片、築47年東京都木造建築部材
Maplanter TOYAMA
セメント、砂防の破片、築65年富山県木造建築部材

“Sensory stone” -「体感する」ことから考える

目盛りのない石の形をした日時計。
始まりはとてもパーソナルな、日々感じている2つの違和感。ヒトの動物としての能力(感覚) が退化しているような感覚と、数字としての時間に追われているような感覚。 この違和感を持ったまま、砂防という時間の雄大な流れを感じる場所に立ち、自然(石)も人工物(砂防=コンクリート)も等しく年月を経て水流によって形を変えている「さま」を、五感を通して感じた。その「さま」は「とき」と等しいのではないか、とも思った。体感として感じるその「とき」にフォーカスしたい、そして、その体感を日々の生活の中に落とし込みたい。

普段は時計を介して時を数字で認識=計ることが当たり前となっている。「時を計る」とは 「時」という自然の摂理を人工物(時計)を介して理解しようとする行為なのではないか?時計の原点である日時計は、日の光と影を使う情緒的なものであり、時を体感を持って感じることができる。その日時計から目盛りをなくすことで、時を認識する行為はより自身の感覚に委ねられる。体感することを軸に、自身の感覚を信じ、自らの身体全体で感じて欲しい。


砂防ダムの下流の石を象った形

砂防とは
https://atma-inc.com/aboutsabo-j/

セメントと循環社会
https://atma-inc.com/aboutsabo-j/#cementandsociety

鳥居セメント工業株式会社
https://atma-inc.com/aboutsabo-j/#toriicement

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